奈良市議会 2022-09-14 09月14日-03号
和銅3年、西暦710年、この奈良の地に平城京の都が置かれ、七十余年、日本の首都として栄え、「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」と歌われたように、天平文化の華を大きく咲かせました。また、その後も仏教の中心地、南都として1300年余り、日本の心のふるさととして栄えてまいりました。
和銅3年、西暦710年、この奈良の地に平城京の都が置かれ、七十余年、日本の首都として栄え、「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり」と歌われたように、天平文化の華を大きく咲かせました。また、その後も仏教の中心地、南都として1300年余り、日本の心のふるさととして栄えてまいりました。
まず、奈良に来る理由は、天平文化、シルクロードに乗ってここにやってきたのが奈良。だから、奈良の建物とかを見に来ると。しかも、中国人にとったらめでたいものなのでこっちに行くと。橿原は、見る建物が、歴史があり過ぎて、古過ぎて残っていないので見に来ないのと違いますか。京都を見てくださいよ。建物が残っていますよね。奈良を見てくださいよ。建物が残っていますよね。
本市は、天平文化のすばらしさだけでなく、戦国時代のロマンをも秘めた天地であるというふうに市民の皆様、また市外の皆様へ大きなPRになると思いますので、どうか御検討いただきますよう要望いたしまして、私の質問を終わります。 ありがとうございました。 ○議長(浅川仁君) 以上で質疑並びに一般質問を終結いたします。
1,300年前に花開きました天平文化の高い芸術性、精神性を礎に、舞台芸術・美術・食の3つの部門での事業を中心に、東アジア都市間交流の活発化、また国内外の交流人口の増加、観光業の活性化、とりわけ宿泊を伴う観光や地場産業の発信、国際社会における奈良や日本の存在感の向上というものをもたらしてまいりたいと考えております。
天平文化が花開き、万葉のふるさととして日本文化の礎となった天地が我が奈良市でありまして、現在も全国、また世界からの憧れの地であることは間違いありません。 そして、先ほど本市と、京都市のことを引き合いに出しましたが、たまたま京都市を出しておりますけれども、最も大きな違いは、やはり平城宮跡じゃないかなというふうに思います。
大変すばらしい取り組みと考えますが、それだけにもっと平城京や天平文化の本物の世界遺産としての価値を、全国へ、世界へと発信できないのかと、私は考えます。 私は、今から約2年前の代表質問において、県議会が記念の節目ごとに、大仏殿で記念議会をされていることを参考にして、大極殿で記念市議会が開催できないか、また、ビッグアーティストを招いてロングランコンサートができないかという提案をしたことがあります。
世界遺産は天平文化の歴史そのものです。本市には、美術館などミュージアムが数館あり、本来、美術館など文化施設には学芸員または研究員がおられますが、私は、そういた人材が力を発揮されなければならないと考えます。文化芸術の調査研究と、そこから得られた成果をいかに事実として普及、促進に役立てるかが重要となるのではないか。
さて、奈良時代、この平城宮の周囲には天平文化の舞台となった奈良の都、平城京があり、そこには貴族や下級役人、一般庶民の住宅が建ち並び、また多くの大寺院がありました。都が京都に移ってしまうと、平城京の大部分が寂れてしまった中で、貴族の信仰を集めた大寺院だけは栄えたと言われています。
現代においては歴史遺産となりましたが、間違いなく天平文化が謳歌したあかしであると私は考え、そこから学ぶことは大きいと考えます。しかし、些細なことかもしれませんが、私の子供が学校で使っていた書道セットは、すずりがプラスチックで、墨をすったことがないとも言っておりました。本市には1,300年息づく筆、墨の伝統文化があるのに、教育現場ではそれをどう学んでいるのか、疑問に感じます。
また、中心市街地の基盤道路であります三条通りの拡幅整備にも着手し、奈良らしい天平文化をイメージしてもらえるような、夜も明るいシンボルロードとして、人の流れをそこだけでとめるのではなく、東向通り、もちいどの通り、さらに周辺の小さな道、通りと続くかいわいをつくることで、地域のもてなしの環境の形成を進めてまいりたいと考えています。
元明天皇が710年に飛鳥の藤原京から奈良の地に都を移されて、シルクロードの東の終着駅として「あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」とうたわれたように、天平文化の華を咲かせ、日本の首都として政治、経済の中心地として栄えました。都が長岡から京都へ移った後も、東大寺、薬師寺などの寺社が勢力を増し、南都として栄えたことにより、今日の奈良の礎が整いました。
昨年九月議会における市長就任のあいさつにもありましたが、千三百年前、この奈良の地に平城京が開かれ、天平文化を生み出した日本文化発祥の地であります「奈良に生まれて、また住んでよかった」と市民が実感するためにも、初めに申しましたように、行政を支える財政が豊かでなければならないと考えるのであります。 しかし、ここにおいて、都市間における競争が一層激化することが予測されるのであります。
我が奈良市は、世界遺産に登録された世界に誇る多くの文化財と豊かな自然に恵まれ、天平文化の華を咲かせた平城京の時代から、我が国の歴史、文化において重要な役割を担ってまいりました。その奈良市も地方分権の時代の中、平成十四年には中核市として大きな一歩を踏み出し、そしてまた本年四月一日には、月ヶ瀬村・都祁村と合併し、文字どおり新奈良市としてのスタートを切るわけであります。
奈良市は、千三百年前、我が国の首都として平城京が開かれ、けんらんたる天平文化を生み出した日本文化発祥の地であり、また古代文化の中心地として栄え、今日まで連綿と日本民族の文化遺産を守り伝えてきた心のふるさととして、日本国民に親しまれてまいりました。そして、私が生まれ育ち、こよなく愛するこの地で、このように市議会の壇上に立つに当たり、市長としての責任の重さを改めて感じているところであります。
「咲く花の 薫ふがごとく」とうたわれた天平文化が、それこそきら星のように散りばめられた道であると書かれておりますが、三十二年前、市が定めたルートであります。私も、すべてではありませんが一部歩いてみると、自然を感じさせ、天平の薫りを感じるところがありますが、現在の交通量の多さと、それに伴っての排気ガスの香りというか、においが大変多くなってまいりました。
奈良は、西暦七一〇年に元明天皇が飛鳥・藤原京からこの地に都を移して以来、七十四年間、首都として栄え、天平文化の花を咲かせました。そして、二〇一〇年には平城遷都一三〇〇年という記念すべき年を迎えることになります。
そして、「あをによし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」と万葉集に歌われた天平文化は、日本の文化の基礎を形成し、正倉院の文物に代表されるように、千三百年の時を経て、今に伝わっております。都の中心でありました平城宮址は、棚田嘉十郎翁や溝辺文四郎翁などの先人たちの努力により、広大な特別史跡として保存整備され、全国でも類を見ない国民的財産となっています。
平城遷都一三〇〇年記念事業の基本理念や構想指針では、アジアを初めとする世界の文化を積極的に取り入れながら、日本文化の源流の地となった奈良・平城京と性格づけた、国際性や華やかな天平文化が強調されています。
天平文化の頂点を示す東大寺大仏は、ことし大仏開眼千二百五十年を迎えました。世界遺産を持つ歴史の重みを改めて実感するとともに、アジア諸国の文化交流なくして今日の姿がなかったのではないかと思うとき、もっと多くの海外の方々への積極的なアプローチと協力が必要と考えます。 そこで、市長にお尋ねいたします。
かつて天平文化を築いた基は、朝鮮半島の百済や新羅や中国隋・唐文化であったかもしれませんが、すなわち渡来文化に起因するかもしれませんが、大和民族、すなわち我々の先人たちは、それらの文化に学びながら新たな文化を創造し、価値を付加させ、発展させてきました。